AMX40 戦車を模型で解説する記事

AMX40 戦車を模型で解説する記事  35amx_3

このページではディーラー「シープモデル」の中の人が「1/35 フランス騎兵戦車 AMX40」のガレージキットを作ったのをいいことに、AMX40についてなるべく解説してみます。キットを買った人の参考になるようにと、販促のためにやるよ。文章が多いのでなるべくPCで見て下さい。

はじめに、
・書いてる人は戦車の専門家じゃなくてただのモデラーなので間違いは多分あります。
・語句の使い方や言い回しはなるべくわかりやすさを優先するので、厳密には意味が違ってる場合があります。

この記事を書くにあたっては、海外の個人サイト(?)に特に詳しいところがあり大いに参考にさせて頂きました。文中で言ってる”図面”ってのはこのサイトにある青図のことです。AMX40の図面はこれしかないらしい。この図面は多分著作権者が居ないのでパクってもセーフだと思いますが、一応転載はやめておいたので図面を見たい人は各自で見て下さい。ゲームのwikiにある図面も元は一緒ね。
英語の海外サイトなので自己責任で飛んでね。スマホだと多分表示が狂うよ。
リンク:Status Report History of the AMX40  (別の窓で開きます、英語です)

あと、この模型のメインページはここです このHP内リンク(同じ窓で開きます)

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AMX40の概要
まずはざっくりとした概要を箇条書きしてみます(ざっくりとは言っても量あるけど)。この戦車って計画段階で母国が降伏してるので全て「予定」の話なのであしからず。装甲厚については、曲面で鋳造なので一つの部位で一定じゃないことがあります。

計画
・ソミュアS35の後継となる20t以下の騎兵戦車。
・3人乗り、車長(装填もする?)・砲手・操縦士。
・クリスティー式の走行装置を持ち、転輪走行が可能。
・航続距離200km以上、最高速度45~50km/h(転輪走行時?)、機動性はS35と同等
・47mm主砲 SA35(弾数176発)、7.5mm主砲同軸機銃×1(位置不明)、7.5mm車体後部対空機銃×1
・発動機150~160hpの”Aster”ディーゼルエンジン
・無線機と乗員同士の通話装置を装備
・1938年にクリスティー式の特許をフランスが購入、しかし有効利用はせずに放置。1939年になって相互援助プログラムによって英国の巡航戦車Mk.Ⅲ(脚がクリスティー式)を実際に見てからクリスティー式の導入を決めた模様。
・図面の日付は1940年の3月4日。この時点でおおまかな設計はされていた。

図面から見た構造(推測も含むよ)
・クリスティー式の独立懸架装置、ばねは垂直ではなく斜め。大型転輪4つ。
・起動輪が後ろ。前部の誘導輪が小さめなのが特徴。上部補助転輪は無い。
・第4転輪には起動輪との間に動力伝達機構を持つ。第1転輪には操向装置を持つ(多分)。
・車体構造はクリスティー戦車と同じグラシス型、操縦士は中央に座る。
・アゴの下にある出っ張りが操縦士ハッチで丸ごと上に開く。装甲厚は60mm。
・車体と砲塔は鋳造、分割は不明だが車体上下を分けたソミュアS35と基本同じっぽい。
・吸排気口がある車体後部の上面はパネルになっていて、丸ごと上に開いてメンテナンスハッチの役割をする。
・側面のスカートは15mmの装甲板、車体側面装甲は30~50mm(上ほど薄い)、側面下部は40mm。スカートは車体の外に付いている懸架装置を機銃弾やスプリンターから保護するためと思われる。
・わかる範囲で車体の装甲は、下面25mm、前面傾斜部30~50mm(上ほど薄い)、後部の上面15~20mm、後部40mm。要求は単純に装甲厚50mm以上だが、設計は傾斜を考慮していたっぽい。
・砲塔は40~50mm程、後部搭乗ハッチも50mm程、防盾(?)は30~10mm程で前ほど厚くて後ろの縁が薄い。内側はB1bisに似た感じで、B1bisの主砲周りに後付けで防盾(?)を付けた風に見える。ただし図面の見た目だけなので実際の砲基部の装甲の程度は不明。主砲はB1bisと同じ砲(ちなみにSA34はB1無印の砲)。

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写真で各部の説明

ここから各部の細かいことを写真+書き込みで説明します。また写真に書ききれない細かいことは追加で説明します。写真の中で、赤字で書いてあるのは図面で確認できる内容で、黒文字で「ゲ」と書いてある部分はゲームCGオリジナルと思われる部分です、説明はあくまで筆者の見立てなのでCG製作者の意図とは違う可能性があります。

1枚目:全体のフォルム。図面が少ないので形状はあくまでざっくりこんな感じって思いましょう。寸法は入ってるけど輪郭を完全に固定するのはちょっと無理。
操縦士ハッチはカパっと開くんですが砲塔の向きによっては開かないんじゃないかなぁ…。

2枚目:車体後部の上面は全体がハッチになってて開きます。ここは鋳造じゃないはずなので肌を荒らしてません。生産性や整備性は良さそうですね。

3枚目:車体側面のディテールと構造について。車体はソミュアS35と同じ造りっぽくてプラモみたいに上下に分けた部品をくっつける感じ。転輪4つは等間隔で、履帯は幅が狭めなので未舗装だと動きが悪そう。側面のスカート的な装甲は固定されててパタパタしません。

4枚目:模型でもざっくりですが動力伝達機構を表現しています。転輪は2枚合わせのタイプです。製造方法は不明で、機械加工で切り出しか鋳造かプレスか…、プレスが有力?。直径はティーガーⅠと同じくらいです。

5枚目:車体前部には何気にU字の牽引具があって、車体に埋め込む感じで付いています。横向きになっていて使用する時は回転して前に出す仕組み、フタがあったかははっきりわかりません。また、フランス戦車特有の牽引用のチェーンは左誘導輪の内側あたりに空間があって、そこに入っています(図面に写ってる)。これは模型でもゲームでも表現がないのですが、マチルダⅡみたいに誘導輪の内側は収納BOXになってて開閉するみたいです。

6枚目:車体後部上面の話。この子の特徴で車体に対空機銃を持っています。図面を見てもらったほうがわかりやすいですが、機銃を半分突き出す格好で車内から射撃します。ただし、この方法は普通に考えれば無理があって、銃架があっても射撃姿勢は苦しいし、そもそも視界の取り方が謎、砲塔ハッチを開けて見るのか?どのみち視界が狭すぎる、射界があまりに狭い、などなど。使わない時は引っ込めてあって、フタしてあるみたい。

車体の横は燃料タンクになっています。給油口はあったのか不明ですが、図面には無いし弱点になるので無かったのでは?後部パネルを開けて車内側から給油してるかも。戦闘室と燃料タンクとの間には15mm厚の壁があります。

OVMはゲームでは何故か米軍っぽい形で、見かけないモンキーレンチもあります。模型で本物っぽさを出したい場合はフランス式のを装備しましょう。

7枚目:砲塔の話。防盾(?)は動いたらめりこみそうな感じです。ギリ大丈夫なように設計してあるかもしれませんが、ギリセーフな設計ってだいたい実際は余裕でアウトなもんですが…。照準器はステレオ式を予定していました、ただしこの時期だと車載用のステレオ式は実用レベルにはなかったわけで、実現できた可能性は極めて低いでしょう。これのおかげで砲塔内も余計に狭くなっちゃってます。砲塔はかなり狭くて、実物があったら戦闘時にかなり問題になったのではないでしょうか。ちなみに砲塔旋回は油圧駆動式。同軸機銃は図面で描かれておらず位置が不明です。

8枚目:砲塔の後ろ。外部観測装置ははっきりとはわかりませんが潜望鏡があるみたいで、ゲームCGでも表現されています。頭のてっぺんは換気扇、砲尾の真上くらいにあります。砲塔の造りは鋳造ということ以外わかりませんが、上下に分けておいて溶接してる感じにゲームCGはなっています。

搭乗ハッチは一つで、よくある円弧形のアームで外に&下に開きます。図面では取っ手は書いてないけど何かしら手がかけられる様になってたはず。ハッチが小さいし、砲塔内が狭いので緊急脱出は難しそう。操縦士には車体のハッチもありますが、そっちは出入り用というより視界を広くしたい時に開くためっぽくって、出入りは砲塔のハッチを使ったと思う。

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*考察*

実際にAMX40が製作されていたら?というのを簡単に考察してみます。箇条書きでいくよ。

・出力重量比からして、最高速度は履帯で15~20km/h、転輪走行で30~40km/hがせいぜい。
・幅の狭い履帯とアンダーパワーのおかげで不整地では激鈍い。
・フランス戦車のお約束、車体の繋ぎ目を撃たれたらすぐ壊れる。
・ステレオ式の照準装置は実用化できず単眼に直したのでは?
・外部観測装置が少ないせいで状況把握がさっぱり。
・装甲は厚いし弱点ですらけっこう頑丈、ドイツ戦車では撃破できずに88mmで撃たれる。
・開戦時期の戦車戦なら強い、歩兵にたかられて吸排気口をやられる感じ。
・転輪走行はさっさと諦めてたと思う。でないと故障しまくったと思う。
・砲塔の狭さが問題になって乗員から不評を買う。
・無線機を標準搭載なので、歩兵に直協して部隊間の連絡に一役かったかも?
・生産性は良さそう。ぽんぽん繁殖する。

結局のところ、計画されたような性能(特に速力)を発揮できた可能性は全くないです。フランスの最大の弱点、エンジンの出力不足はいかんともしがたい。構造的にはそれほど無理はないので、ステレオ式照準装置をやめて速力を妥協すれば、鈍重ではあるけどそこそこ優秀な戦車になっていたと思います。実戦に出て改良案が出れば車体繋ぎ目の弱点は改良されたでしょうし、運用さえ間違わなければドイツ戦車と互角以上にやりあえたのではないかと。まぁ、それができないからフランス負けたんだけどね(´・ω・`)

そんなわけでAMX40の解説でした。実車がない戦車ではありますが、構造や各部位の意味を考えながら模型を作るとより楽しめるし理解が深まると思うので、あれこれ想像しながら楽しんで模型を作って下さいね。

***オマケの妄想戦記***
ここからふざけます、ヒマをもてあましたムッシュだけどうぞ。

予定通りの戦車が実際に完成して、しかも独仏戦の開戦時に200台が部隊配備されていたら?という超都合の良い想定で昔ながらのミニ架空戦記を妄想してみました、タミヤの説明書とか好きなんだもん。フランスの細かい呼称の決まりとかは知ったこっちゃないので適当なイメージでやってます、笑って読んでね。なるべくコテコテな感じで、AMX40の特長が活きるようにしたつもり。調子こきまくったから長いよ。

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ーーー1940年3月末フランス、1台の新型戦車が完成した。AMX40騎兵戦車、「まやかし戦争」が続く中で完成したこの戦車は多くの軍上層部がマジノ線をあてにして必要性を感じない中で、一人の騎兵部隊の将校ドナル・ド・ダック伯爵の判断によって200台の緊急生産が行われることとなり、地場工場まで総動員して5月までに生産を完遂、これは後に奇跡と称えられることとなる。

ダック伯爵はこの新型戦車を中心に従来とは異なる独立機械化部隊を急ぎ編成した。クリスティー式の駆動装置を持ち転輪での高速走行が可能な本車は既存の部隊に組み込むには不適と主張し、独立部隊の創設を認めさせたのだ、ダック機甲師団の誕生である。師団はAMX40戦車200両とトラック200台サイドカー100台、給油車などの補助車両を保有し、随伴歩兵は戦車への跨乗とトラックにより機械化輸送を実現した。

師団は180両の戦車を30両×6個に分けた各中隊による主力遊撃軍と、戦車を2両ずつ装備した10個の直接協同部隊とに分けられ、トラックと歩兵はそれぞれに振り分けられた。直協部隊は他の部隊の元に分散配置された、これらが各地域の状況を前線で確認し、無線中継とサイドカーによる伝令により速やかに遊撃軍に伝えることとされた。各地域の部隊ごとの指揮系統に関係なく、師団所属車両が直接本隊まで情報を回すことにより、速やかに状況分析と戦力投入が可能になるという目論見であった。貴重な戦力を割いてまで採られた、フランス軍の官僚的な体制から抜け出すための苦肉の策であった。

ーーー1940年5月10日、森が動いた。ベルギー国境の森林地帯から侵攻したドイツ軍は航空支援も相まって手薄なフランス軍守備隊を一気に食い破った。この時ダック師団は直協部隊がアルデンヌ~ロレーヌに配置、本隊はアルデンヌ地方西のランスに居た。直協部隊からの報告と他部隊からの断片的な情報から伯爵はアルデンヌ方面のムーズ川西岸に本隊の120両を進出させ、ドーバー海峡方面のリールへ残る60両を走らせた。自慢の転輪走行能力と航続距離を活かしたAMX40とトラックに乗った歩兵は100km以上の距離を夜通し走って翌11日朝にはムーズ川に到達、更に遠いリールへは11日夜に到着した。部隊は現地部隊に疎まれながらも地形偵察を開始、体勢を整えていった。

13日、アルデンヌ方面にて、ドイツA軍集団が渡河を開始。敵の激しい航空支援を見た師団は車両を後方の森へ退避させる。AMX40に対してスツーカは急降下爆撃を行うものの、装甲の厚い本車が相手では小型爆弾のスプリンターでは致命傷を与えられず、直撃させるか大型爆弾を使用する必要があった。また使いにくいとはいえ集団で対空機銃を打ち上げてくる本車に対しては十分に引き付けての投下は難しく、戦闘機の機銃掃射でも上面装甲が15mm程度あることから致命傷にはなりにくかった。これらの特徴と退避優先の方針により、ドイツ軍による航空攻撃による損失を最低限に抑えることが出来た。この間、散らばった直協部隊は崩れていく現地部隊に付き添いつつ後退し、相互連絡に勤め続けた。

14日夜、突如現れた新型戦車にドイツ装甲師団は恐慌状態となった。ダック師団が分散退避を解いて集結、渡河したドイツ装甲師団宿営地に突撃したのだ。3.7cmPak36対戦車砲をものともせず、土塁を突き崩し、歩兵を蹂躙して進む新型戦車に対してドイツ軍指揮官は虎の子の戦車を投入した。しかしその行動は恐慌状態を加速させる結果となった、Ⅲ号やチェコ戦車どころかⅣ号戦車をもってしても敵戦車を食い止めることが出来なかったのである。3.7cmと5cm短砲身のⅢ号とチェコ戦車ではほとんどの砲弾が弾かれ、Ⅳ号の7.5cm短砲身は効果はあったが致命傷となる貫通弾はなかなか与えられず、集団で射撃してくる敵戦車の砲弾は次々とドイツ戦車を撃ち貫いていった。AMX40の47mm砲がまだ装甲の薄かった初期モデルのドイツ戦車達を貫通できたことが幸いしたのだ。Ⅱ号やⅠ号は早くから回り込む戦術を採ろうとしたものの、後部ですら2cm砲弾を弾き返すAMX40が相手ではなす術が無く簡単に返り打ちにあった。
川のために退路が絶たれる形となったドイツ軍は各個に耐えるほかなく、ダック師団はそれらを無視して川沿いに突っ走り、AMX40の航続距離と大量の搭載砲弾を活かして一夜で30km近くを北へと走り15日朝にはセダンの南方へ到達した。川の西で各個に孤立したドイツ軍には直協部隊から状況を伝えられたフランス現地部隊の残存戦力が反撃を開始、ドイツ軍は装備を棄てて渡河後退し、フランス軍は損害を出しつつも防衛戦の建て直しに成功する。これから後、戦域全体の状況を把握しているダック師団の直協部隊は現地部隊から頼りにされる所となり、崩れかけていたフランス軍の指揮系統は機能を取り戻し、次第に連携が働くようになってゆく。

15日、セダン南のストンヌ村にてB1bisを主力とするフランス第3装甲師団とドイツ戦車師団の先鋒とが衝突した。B1bis戦車隊は善戦しドイツ戦車を複数撃破、この状況を知ったダック師団主力はB1bis隊とは逆方向から敵背後を襲う。機甲突破により挟撃される形となったドイツ戦車師団は総崩れとなり損傷車両の回収もできないまま後退した。ストンヌにてB1bis隊と一時合流したダック師団はB1bis隊の協力を受けて補給と整備を実施、主砲が同じであったため損傷したB1bisから砲弾と換え砲身を譲り受けることができた。またこれまでの戦訓からAMX40戦車の弱点である車体の繋ぎ目の弱さへの対策が行われた、B1bisの履板を溶接したりワイヤーで括りつけて強引に追加装甲にしたのだ。この改修は各隊に伝達され、同じ弱点を持つソミュアS35などにも反映されていった。

17日、ダック師団主力のAMX40残存65両は攻撃が止んだアルデンヌ方面を現地部隊に任せてリールに居た分遣隊60両の元に向かった。途中、数回の戦闘をこなしながら19日朝にリールで合流、ドイツA軍集団の停止を知って独力でベルギーからダンケルクを目指すB軍集団を迎え撃った。
歩兵を中心とするB軍集団を相手にAMX40は無敵を誇ったが、苛烈な航空支援により被害も少なくなかった。そこでダック伯爵は救援を依頼する。ダンケルクで英陸軍参謀総長エドムンド・アイアンサンドと会談したダック伯爵は部隊の無線中継網を英軍に提供、英仏2人の将軍が共同で発した檄文は各地域部隊の協力もあってフランス全軍とパリ・ロンドンにまで一語も漏らすこと無く伝えられ、両国の軍・首脳部・市民を動かした。これが後に「ダンケルクの奇跡」として語り継がれることとなる。

これを受けたチャーチル首相は大英帝国空軍RAFをフランスへ全力投入することを決意、ダンケルク~リール一体は英国本土からカバーし、北部に居た部隊はフランスへと移動した。有力なドイツ空軍を相手に大きな犠牲を払いながらもジョンブル魂を遺憾なく発揮し善戦、爆撃機を叩くことに集中しドイツが誇るスツーカは次第に勢威を失っていった。

ドイツ装甲師団の撃破と制空圏が拮抗したことによりフランス軍は崩壊を免れた。十分な支援を受けられないB軍集団はダンケルク侵攻を諦め停止、これにより海峡付近にいた英陸軍は体制を整えフランス軍との共同戦線が確立される。5月23日、ドイツのA軍B軍各集団は国境周辺で完全に侵攻を停止、この時点でA軍装甲師団は車両の半数を喪失、対するフランス軍はドイツ軍が遺棄した車両や兵器を捕獲し消耗した戦力を補充していった。ダック師団のAMX40もこれまでの戦いで消耗、遊撃軍は180両が40両まで減り、直協部隊は16両で任務をこなしていた。

侵攻計画が完全に崩壊したことで、ヒトラーは狂った。陸軍と空軍の上級将校を次々と粛清し軍上層部はヒトラーを崇拝するだけの若く経験の浅い純粋アーリア人将校で固められた。この暴挙によって指揮系統は滅茶苦茶となり作戦指導は素人により行われた、粛清を免れた古参将校や開戦に否定的だった海軍将校達はナチス政権への憎悪を募らせていき、上官を理不尽に殺され素人を指揮官にされた現場部隊は密かに古参将校達と通じていく…。

6月14日、フランス国境から戻った敗走兵を中心としたドイツ蜂起軍は首都守備隊と内通してベルリンに無血入城した。郊外へと脱出したヒトラーは子飼いの親衛隊により蜂起軍を排除しようとするも、各地の部隊も同調して蜂起し親衛隊は個々に包囲・武装解除されていく。

6月19日、蜂起軍はついにヒトラーを捕縛、自殺を図ったのを阻止して力ずくでナチス政権の解体を宣言させることに成功する。翌20日、蜂起軍は臨時政府の設立を発表、抵抗を続けるナチス派部隊に武装解除を指示した。

1940年6月21日、ドイツ臨時政府は連合国に対して降伏、フランスの戦いは終結した。
この1ヶ月少々の戦いにおいて緒戦の主攻を食い止めて決定的な役割を果たしたドナル・ド・ダック伯爵と同師団の主力装備AMX40にはフランス国民から最大の賛辞が贈られることとなった。
AMX40は「フランスの至宝」「フランスの守護神」と称えられて各地の戦勝記念館で恒久展示され、更にはその美しいフォルムが評価されてルーブル美術館にも展示されている。フランスの守護神は戦後海外でも尊敬を集め、現代では本車を主役にしたゲームが複数作られ、各国のメーカーからたくさんのプラモデルやラジコンが発売されていることは誰もが知るところである。
ドナル・ド・ダック伯爵はその後も生涯一将校として機甲師団の育成に汗を流し、部下達に惜しまれつつ1970年にこの世を去った。伯爵の名は現在でもフランス最大の国際空港「ドナル・ド・ダック空港」や海軍の象徴である原子力空母「R91 ドナル・ド・ダック」に受け継がれて国民から敬愛されている。

祖国を救ったこの美しい戦車の活躍は、多くの勇敢なムッシュ達と共に末永く語り継がれるであろうーーー。

=================  完   ======================

はい、お粗末様でした。史実と照らし合わせてみるとよりムフムフできるぞ。1/35 AMX40 ダック伯爵搭乗車とか追加装甲改修車とか作ってくれると嬉しいぞ(笑)


日付

2016年9月19日

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